秋葉原の「人」に聞く。第3回~デカ盛りメニュー あだち店主~
秋葉原で活動する人々や、秋葉原で働く人々にインタビューを行い、胸に熱く滾る秋葉原愛をお届けするという企画となっています。
また、インタビューを行った方からお友達を紹介していただき、秋葉原の輪を繋いでいこうという趣旨もあります。
第3回目の今回は、前回のカレー専門店ベンガルのオーナー・浅見氏からの紹介で、秋葉原のデカ盛り店「あだち」の店主にお話を伺ってきました。
↓秋葉原の「人」に聞く、第2回目はこちら。
https://akihabara-bc.jp/akihabara-no-hito-asami/
秋葉原のデカ盛り飲食店 ごはん処あだちとは?
秋葉原の飲食店と言えば?
そう、絶対に名前の挙がるお店がここ「ごはん処 あだち」です。
「あだち」は爆盛りメニューは様々なメディアに取り上げられるほど有名で、各種ブログ、大食い芸能人、YouTuberの動画などにも度々登場し、秋葉原の名物スポットとして愛されています。
その量たるや想像している以上に爆盛りなので、チャレンジされる場合は一度ネット等でその量を確認した方がいいでしょう!
何はともあれ、今回はデカ盛りメニューのレビューや体験レポートではなく、あだちというお店が、変化していく秋葉原においてどのような歴史を歩んできたのかを、お伝えする記事となっています。
戦後高度経済成長期から令和の今に至るまで、あだちはどのように変化して来たのでしょうか?
所在:〒101-0021 東京都千代田区外神田3丁目11-6 一枝ビル 1F
電話:03-3253-3017
営業時間
ランチ:11:30~15:00
ディナー:17:00~22:00
あだち 秋葉原にお店を出して50年以上
まずは開店から50年以上を誇る、あだちの歴史を紐解いていきたいと思います。
市場の時代だった頃の秋葉原とあだちについて聞いてみました。
Q
まずは「あだち」が秋葉原にお店を出した頃のお話を聞かせて頂きたいと思います。
A
知っての通り、昔、秋葉原駅前には市場があったんだよね。
詳しい始まりはわからないけど、江戸末期・明治辺りから昭和の終わり頃まで、神田市場という名前で。
その当時、ウチ(あだち)は仕出しを市場に届けていて、お店もあったけど市場向けで朝昼営業だけだったね。
よく「昔は飲食店が無かったね」なんて話をされる方がいるけど、多くはないけど、お店自体はあったんだよね。
市場相手の飲食店ばかりだからウチのように朝昼だけ開いてってお店ばかり。
ようは一般客を相手にするお店、ランチタイムとか夕方に食べれるお店ってのは閉まってたから「飲食店無かったね」になったんじゃないかな。
一般の人、市場を利用してない人はお店を見ても「これ入れるのかな?大丈夫かな?」ってなっちゃうし。
だからね、よく見ればあるにはあった。
場外とか場内とか結構ゴチャゴチャした感じになってたと記憶してる。
Q
お店は50年以上今の場所から移っていないんですか?
A
そうだね。
あと、市場の中にもちょっと、出張所みたいなものがあったよ。
市場相手の仕出し屋だったので、調理は今のお店の場所でやって販売は出張所でやってたね。
後はこの辺りのサラリーマンを相手にランチをやってたくらいかな。
やっぱり朝がメインなんで、市場で働いている人がいなくなる夕方夜はお店は閉めてた。
ただ、市場がなくなった辺りからは夜営業をやるようになったかな。
市場が無くなってからの秋葉原の変化
Q
市場が無くなってからガラリと秋葉原も変化したと思いますが
A
神田市場はドンキとか消防署の辺りまでずっと敷地だったんだよね。
今じゃもうビルが建っちゃって昔の面影なんてなくなっちゃってるけど…
市場が移ったのが…もう35年以上経つかな?
大田市場に行って30年以上経つかと思うんだけど…
神田市場が大田市場に移って、築地が豊洲に移って、築地が魚の市場・神田が野菜の市場ってわかれてるんだよね。
それからダイビル、UDXになって一気に変わっていっちゃった。
市場がなくなって、ビルが建って、AKBなんかが出来てからはゴロっと変わったね。
市場中心の街から、電気中心の街になっていって…石丸とかサトームセンとかヤマギワとか出来てきて…それがパソコンになったり、メイドになったり。
電気屋なんかも時代と共に無くなっていっちゃって、今じゃビックカメラとかヨドバシとか大きい所だけが残ってるよね。
常連の一言から始まったデカ盛りレース
Q
「あだち」と言えばデカ盛りで有名ですが、今の形態になったのはいつ頃でしょうか?
A
まず、昔からウチは一般のお店よりもご飯の量は多かったよ。
市場で働いている人とか、あと電気屋で配送してる人とかを相手にしてたからね。
ガテン系って言うのかな?
かなり力も体力も必要な職業の方が多かったので、やはり量を食べるんだよね。
元々量は多かったんだけど、客層を考えた上での量だったの。
で、どれくらいかな? 15年くらい前にギャル曽根とかジャイアント白田とかの大食いブームがありましたよね。
彼らが来てお店がデカ盛りで取り上げられてから、その後も結構人が来るようになったんですよ。
日本一のデカ盛りだとか何だとか取り上げられると、別のお店がそれを超えてきてね(笑)
すると、常連さんが「どこそこのお店は〇〇kgのものがある」とか言ってくる。
最初は4kgくらいだったんだけど、常連さんも全部調べてくれちゃってさ。
あっちのカレー屋は何kgだとか、こっちのラーメン屋は何kgだとか…
それを超えてもまたどっかで5kgだなんだとか言い出しちゃってさ。
じゃあそれを超える為に「6kg」だ! なんてやってら、次は名古屋かどこかでジャガイモの料理が6kgだ6.5kgだなんて聞いちゃったて…
イベントでの料理だったんだけど勘違いしちゃっててさ、常連さんが言うわけだよ。
「2番手じゃダメです、何をやるにも優勝・1番にならなきゃ」って。
引き続き調べてもらって、2升・7kgのものはないってのが分かったから、現在はここで打ち止め(笑)
Q
もし7kgを超えるお店が出てきたら…
A
勿論それを超える量にするよー!
日本一だって言われてるからさ、今の所ないみたいだけど。
聖地巡礼?ラブライバー?客層もどんどん変化していく
Q
街の変化と共に客層も変わっていったかと思いますが…
A
変わったねぇ。
ラブライブ、ラブライバー?っていうの?凄い増えたよねぇ。
神田明神が聖地なんだね。
10年くらい前からかな?そのラブライバーってのがお店に来てるね。
いまだに金曜とか土曜になると来てますよ。
「人形置いていいですか?」なんて聞いてくるから「人がいなければいいよ」って言ってる。
しかしまぁ、ああいう人たちってちゃんとしてるんだね。
常識があるっていうか、ただ趣味がそういう系ってだけでしっかりしてるよ。
声優の飯田里穂さんが来たんだよね。
サインが置いてあったせいもあって来るようになったんだね。
Q
最早聖地のひとつとなっていますね。
A
コロナ前までは貸し切りみたいな感じで営業していた時もあったよ。
今では人数も減っちゃったけど、毎週5~6人は来てますね。
「貸し切りの時は人形置いていいから」なんて(笑)
その代わり15人以上集めろって言ってるんですよ。
あだち店主のおすすめする秋葉原スポット
Q
お話を聞いてる皆さん全員に質問してるのですが
「秋葉原に来たらここを見て欲しい、ここに来て欲しい」
というのはありますか?
A
チェーン店に行くのもいいんだけど、昔からあるお店に一回くらい行った方がいいんじゃないかな?って思うよね。
まだまだ何件かお店もあるから、ぜひ探して行って欲しいね。
ウチはネットに載っちゃってるけど、ネットとかに載せてないお店もあるしね。
取材とかも断ってるようなお店もあるし、是非そういう昔ながらのお店に行ってくれればなって思うよ。
第3回、秋葉原の「人」に聞くを終えて
秋葉原にお店を構えて50年以上。
市場全盛期から電気街、オタク街、メイドの街を経験したあだちの店主にお話をうかがいました。
いまだ日本一のデカ盛りのお店という記録は破られていないながら、仮に今後日本二になってしまったとしても、それを超えるデカ盛りを絶対に出す!という強いこだわりも垣間見えました。
地元の常連に愛され、大食い好きに愛され、オタク達にも愛されている「ごはん処あだち」。
今後も長く秋葉原で商売を続けていってほしいですね。
↓第2回、ベンガルオーナー、浅見氏の記事はこちら
https://akihabara-bc.jp/akihabara-no-hito-asami/
↓第1回、Mr.秋葉原・ササキチ氏の記事はこちら
https://akihabara-bc.jp/akihabara-no-hito-sasakiti/